読書備忘録ーロマンチックな回覧板をまわす

これまでに読んだ本の感想をこっそりと書いていく予定 ロマンス小説多めでかなり偏りと多少のネタバレがあります

「心なき王が愛を知るとき」エリザベス・ホイト

海外のロマンス小説を愛読する私ですが、単発よりもシリーズものを好んで読む傾向を持っているので、このメイデン・シリーズも当然1作目から読破しています。しかし実はこれ、シリーズものの10作目なのです。

エリザベス・ホイトは、暗い面を持つ人物、特にダーク・ヒーローを書く技術に長けているのではないかと思っています。ロマンス小説では、よく美形の悪役が出てくるのですが、なんのかんのいいつつヒロインの愛で改心するのがお約束となっています。でもそのテンプレに対して、いかに説得力を持たせるかが作家の力量だと言えるでしょう。私はホイトが人間の暗黒面の陰影を鏡のように写し出し、まるでモノクロの写真のように不思議な美しさで描写してみせることができる作家ではないかと感じているのです。やはりロマンス小説というものは、物語の美しさで読者を酔わせてナンボと言いたくなりますからね。

それにしても、最初のベッドシーンではなく、何度目かの際のヒーローとヒロインの睦言がセクシーかつ情緒的なのはさすがでした。

心なき王が愛を知るとき (ライムブックス)

心なき王が愛を知るとき (ライムブックス)

 

 あらすじ

モンゴメリー公爵バレンタインはギリシャ彫刻のように美しいが、放蕩者で邪悪な人物だと噂されている。ハウスキーパーのブリジットがバレンタインに仕えることになったのは、彼が屋敷に隠している秘密の品々を見つけて運び出すという使命を負わされたためだった。その品をもとに、上流階級の人々がおどされていると聞いている。ある日、室内を探っているところをモンゴメリー公爵に見つかってしまったブリジット。しかし、使用人とは思えない気品と知性のある彼女に興味を抱いた公爵は、処分を言い渡すことはなかった。いつしか二人は、会話を交わすことを楽しみにするようになる。そして互いの生い立ちの複雑さを知って、心の傷を癒やすかのように惹かれ合うのだが…大人の愛を描いて大人気の“メイデン通り”シリーズ第10弾。

 

 

いきなり10作目の感想を書いているのは、想像していたよりも話が面白かったからですね。このメイデン・シリーズに関しては、実のところ私の好みにドンピシャではなかったため、新刊が出ていることを知りつつも、ちょっと放っておいたのです。油断した!

ただしエリザベス・ホイトは文章の構成が上手い作家で、時々驚くほど文章の運びが私の感性にピタリとくる一冊があるのも事実です(でも何冊かに1冊)。この本はピタリときたというより、ホイトのダーク・ヒーロー描写の巧みさに酔わせてもらったと書く方が当たっているかもしれません。しかもヒロイン・ブリジットはガチの使用人というところも私のツボ

ロマンス小説では、ヒーローやヒロインの身の上に説得力を持たせるために、時々非摘出子*1設定がなされるのですが、私はどうやら意志の強いお姫様よりも、意志が強くて生活力のある職業婦人萌えがあるみたいで、今回はその萌えツボを押されまくったということになりますね。

ジェイン・アン・クレンツがなぜかヒストリカルでも現代モノでも職業婦人ばかり書くので、私としては比較的当たりが多いのですが、陰影の厚みにかけてはホイトが一段上かもしれない。テンプレとは思いつつ、ダーク・ヒーローと使用人を、途中でダレることなく上手いこと恋に落としてくれたホイトには感謝しておきましょう。(4作目の「愛の吐息は夜風にとけて」と6作目の「女神は木もれ陽の中で」を読み返したくなりました。ちなみに4作目はダーク・ヒーローもの、6作目のヒロインは美人ではない職業女性です)

*1:法律上の婚姻関係がない男女の間に生まれた子どものこと

「誘惑の晩餐」シェリー・トマス

 恋は人の運命を変えることができるのだろうか?なんてことを本気で思うには、少々年を重ねすぎたと言えますが、シェリー・トマスが持つ筆の力に、ふとそんな戯言をつぶやいてしまいました。

この本はシンデレラ・ストーリーと紹介されてはいるものの、主役のシンデレラ・ヴェラントは、いわば大人のシンデレラですね。しかしこの大人という言葉が含む意味合いの複雑さといったら...。彼女の書くロマンスは、甘いだけではありません。「愛を知った侯爵」のヒロイン・ルイーザといい、「待ちわびた愛」のヒロイン・ミリーといい、聡明で自分の欲しいものに対して“策をめぐらす”タイプの腹黒さを持っています。もちろんこの話の中にも“黒いヒロイン”が存在しているのですが、それがなんとメインではなくサブストーリーに出てくる女性なのです。これは非常に新鮮!

しかも私のハーレクイン歴において、メインカップル及びサブカップルに、処女も童貞も一人もいない、その上それが障害にすらならないという話を初めて読んだかもしれない。こうした設定を受け入れられないロマンス小説愛好家も、当然いるでしょうね。

誘惑の晩餐 (ソフトバンク文庫NV)

誘惑の晩餐 (ソフトバンク文庫NV)

 

 あらすじ

夢のような料理を生みだし、誰をも魅了する女性料理人のヴェラント。才能とともに、彼女は数々のスキャンダルも身にまとっていた。長年の愛人関係を噂される雇い主が急死し、彼女はその弟で辣腕政治家のスチュワートのもとで働くことになった。だが彼は、かつてヴェラントが愛し、出世の妨げになるからと身をひいた男性だった。運命の再会に、ヴェラントは心を激しく揺さぶられるが……話題の作家が贈る、謎と官能に彩られたシンデレラ・ストーリー。

 

シェリー・トマスが好む、過去と現在を言ったり来たりする話の構成が良くできているのかいないのか?実のところ私には上手く判断がついていません。でも彼女が書く生身の人間が持っている欲望、それを意志の力で抑制しようとする時に理性が立てるキリキリという音が聞こえてくるような描写がたまらないと感じます。特にヒロイン側が自分の肉体的な欲望をあらわにする場面の切迫感は、私を惹きつけてやみません。

つい2日前にバレンタインデイが終わったばかりですが、彼女の紡ぐ物語はもう若くない大人が大本命に送る、高級チョコのような味わいを秘めているようだと感じました。

サブストーリーのヒロイン・リジーは、訳者によるあとがきで外見を「フランス人形のような」とほめられていますが、性格に関しては「計算高い」「ちゃっかりした」などと解説されています(訳者はリジーが嫌い?)。しかし私としては、すぐ男性と寝てしまってはトラブルになるメインヒロイン・ヴェラントよりも、したたかな賢さとほとばしる情熱を併せ持つリジーの方が好きかもしれないと思いましたね。

シェリー・トマスは、ロマンチックのその先を書くことができる作家なのかもしれません。

「満月の夜に」クレスリー・コール

 クレスリー・コールのローア・シリーズ、第1巻ですね。シリーズの始まりにふさわしく、ライキー(人狼)の王ラクレイン(美形)が派手に登場、存分に活躍しています。お相手のヒロイン・エマは、妖精のような姿をしているヴァルキリー(戦乙女)ですが、ラクレインの持つ激情に付き合わされてお気の毒としか言いようがありませんでした。

シリーズを通じてカップルを繋いでいる運命の伴侶という設定があるのですが、言葉の響きはロマンチックなのに、実際は伴侶を追い求めるラクレインにがっつり付きまとわれているエマの災難といったら...。いやー、全てを運命の伴侶だからで押し切られたらやってられへんわーと、ロマンチックにひたるどころか関西弁(私は愛知県出身)でガンガン抗議したくなるような迷惑っぷりでしたねー。ローア・シリーズ限定で、ロマンチックは(文字通り)命がけということわざを進呈したくなりました。

満月の夜に (ソフトバンク文庫NV)

満月の夜に (ソフトバンク文庫NV)

 

 あらすじ

ときは現代。不死の者たちは人知れず実在していて、“ローア”という社会を作り、人間たちにまぎれて暮らしていた。ヴァンパイア(吸血鬼)の父とヴァルキリー(戦乙女)の母を持つエマは、自らの出生の秘密を探るためひとりパリへ向かう。生まれて初めての土地で“ローア”を見つけられずに衰弱していくエマ。そんな彼女を何者かが襲う。それは、彼女を運命の“伴侶”と悟ったライキー(人狼)の王ラクレインだった…2007年度RITA賞受賞作。

 

前半は「ラクレイン、ちょっと落ち着こうね」といいたくなるストーカーのごとき振る舞いでしたが、(もしくはストーカーというよりただの犯罪者か?)後半は2人ともお互いがお互いに慣れて(エマ、それでいいの?と割と納得がいってない私)心を通じ合わせています。その後花嫁として覚醒したエマがパワーアップ!、最後にばっちり決めて、綺麗に終わりましたね。

主人公のカップルだけではなく他の脇役も魅力的です。例えば皆を混乱させる預言者のヴァルキリー・ニクスが出てくるシーンは、物語の良いアクセントになっていると思いますね。ニクスは第5作目の「菫色の空へ」でもかなり活躍しています。(ニクスは嘘と予言を程よく混ぜたことしか言いいませんが)

それから「時の扉を開いてハンサムで礼儀正しいストーカー兼下僕であるセバスチャンと恋に落ちる予定のケイドリンも登場しています。

忘れてはいけないのがエロティック・シーン!ラクレインはライキー(人狼)なので、変身は必須!ケモノですよ、ケ・モ・ノ!でもエマも負けてはいません(って格闘技かよ!)。激しいことこの上ない初合体は、ロマンチックなんぞどこかに吹き飛ぶとしか言いようがなかったです(体力って大事なんだなとしみじみ)。トータルとしてシリーズ1作目にふさわしい、麗しのカップルだと思いました。

「マシューズ家の毒」ジョージェット・ヘイヤー

 「紳士と月夜の晒し台」に続くジョージェット・ヘイヤーのコージー・ミステリ*1、シリーズ第2弾です。個人的には前作よりも、こちらの方が好みかな。現代のミステリだとインパクト重視が多いので、サイコパスが出て来たりおどろおどろしい動機が隠されていたりしますよね。しかしそういったことがないのが、(舞台は1930年代)私にとってはかえって良かったような気がしました。

マシューズ家の毒 (創元推理文庫)

マシューズ家の毒 (創元推理文庫)

 

 あらすじ

嫌われ者のグレゴリー・マシューズが突然死を遂げた。すったもんだの末に検死を実施したところ、死因はニコチン中毒で、他殺だったことが判明。だが故人の部屋はすでに掃除されており、ろくに証拠は残っていなかった。おかげでハナサイド警視は、動機は山ほどあるのに、決め手がまったくない事件に挑むはめに…。

 

舞台となるマシューズ家に関連する人々全員の感じが悪いというか全員が怪しいまま、しかしどこか淡々と犯人捜しが進んでいきます。少々唐突にカップルが成立してしまう場面があり、「あれ?」と思ってついついページを戻って恋愛フラグがあったかどうかを確認してしまいました。まぁ「匂わせ」と言えなくもない行動が示されていましたが、そういったさりげなさも含めて全てがジョージェット・ヘイヤーらしいということに、面白味を感じましたね。

ミステリのトリックはいささか平凡ですが、何というか本全体によく統制のとれた弦楽4重奏でも聴いているようなムードを感じるのですよ。ホールで大勢が演奏するオーケストラではなく、どこかお洒落な家の一室で適度にリラックスしながら室内楽を聴いている気分とでも言えばいいのでしょうか。欲を言えば、もう少しロマンス要素を強めにして欲しかったかな。

 

*1:イギリスで第二次世界大戦時に発祥した小説形式で、当時アメリカで流行していたハードボイルド形式の小説の反義語として用いられた。 ハードボイルドのニヒルでクールなイメージに対し、「地域社会が親密である」「居心地が良い」といった意味を持つ「コージー(cozy)」を使用し、日常的な場面でのミステリーであることを示す。ウキペディアより

「紳士と月夜の晒し台」ジョージェット・ヘイヤー

 えーと、この話が果たしてロマンス小説なのか?と問われると微妙なジョージェット・ヘイヤーのミステリーです。ヘイヤーなので、当然艶っぽい描写はナッシング!その代わりに軽やかさとクラシカルな雰囲気を併せ持った物語の展開を楽しむのが、オススメの読み方と言えるでしょう。

紳士と月夜の晒し台 (創元推理文庫)

紳士と月夜の晒し台 (創元推理文庫)

 

 あらすじ

月夜の晩、ロンドンから離れた村の広場で、晒し台に両足を突っ込んだ紳士の刺殺体が発見された。動機を持つ者にはこと欠かないが、浮世離れした容疑者たちを前に、ハナサイド警視は苦戦する。そんなとき、思わぬ事態が発生して…。ヒストリカル・ロマンスの大家として知られる一方、セイヤーズも認めた力量を持つ著者による、巧みな人物描写と緻密なプロットの傑作本格ミステリ

 

 

ざっくりとした全体の感想を書くならば、会話が楽しかったというところでしょうか?タイトル通りロンドン郊外にある晒し台で紳士の死体が発見され、警察があーだこーだとしゃべりながら右往左往して、犯人を捜していきます。基本的には限られた登場人物たちのあいだで、会話、会話、会話が繰り広げられるのを楽しむのが良いのでしょう。ロマンスも軽め、ミステリーも軽め、これをどっちつかずと感じる人もいるかもしれませんが、私はさらりとした読後感が気に入りましたね。あ、なんとなくスタンダード・ジャズの名曲がBGMで流れてきそうな雰囲気とでもいうのかな?文体から受ける印象としてクラシック音楽ではない、ジャズ独特な軽やかさみたなものを感じました、あくまで個人的な感想ですが...。文学的にはポアロとかアガサ・クリスティとかの、正統派推理小説に近いのかもしれませんね。

私自身は初めて読んだため全く知らなかったのですが、こうした小説形式はコージー・ミステリ*1と呼ばれる文学のジャンルだそうです。

ミステリはやっぱり本格的でなきゃ!という人にはあまり薦められませんが、ちょっとミステリに興味があるかな?という人なら、一読する価値はありますよ。

*1:イギリスで第二次世界大戦時に発祥した小説形式で、当時アメリカで流行していたハードボイルド形式の小説の反義語として用いられた。 ハードボイルドのニヒルでクールなイメージに対し、「地域社会が親密である」「居心地が良い」といった意味を持つ「コージー(cozy)」を使用し、日常的な場面でのミステリーであることを示す。ウキペディアより

「待ちわびた愛」シェリー・トマス

 ロマンス小説と大きくくられている作品の中には、恋愛の持つ甘やかさがメインの話だけではなく、男女の機微や人生の妙味を見事に描いている作品がひっそりと紛れ込んでいることがあります。シェリー・トマスに関しては「愛を知った侯爵」の回で、『お互い非常に賢く抜け目ない上に、プライドも物凄く高い』カップルの『自分の自尊心を賭けた恋愛(戦い)』を繰り広げているさまについての感想を書きましたが。この「待ちわびた愛」という物語に出てくるのは、男女の愛の真実というより愛の現実を生きたカップルです。そして、男の残酷さを見事なまでに表現した作品といってもよいかもしれません。

待ちわびた愛 (ライムブックス)

待ちわびた愛 (ライムブックス)

 

 あらすじ

資産家令嬢のミリーは、幼いころからレディとなるべく育てられてきた。一代で財をなした父が、娘を貴族と結婚させることを望んでいたからだ。
教養豊かな女性に成長した彼女に、フィッツヒュー伯爵との縁談が決まるが、
実は彼には長年想いを寄せている女性がいて……。

 

作者のシェリー・トマスは、アメリカの大学を卒業してはいますが、実は中国人です。その影響なのか、全体の印象としてダイナミックな文章構成の中に欧米人にはない繊細さが垣間見える表現が散りばめられているように思えます。例えばヒロイン・ミリーの言動を追っていくと、ストレートにはっきりと自分の意見を表明するタイプではないことが分かりますが、同時に感受性豊かでデリケートな内面を持つ耐えるタイプの女性であることも次第に明らかになってくるのです。

しかしミリーは、ただひたすら耐えるだけの女性ではありません。与えられた境遇に弓をギリギリと限界まで引っ張っるがごとく耐えた後、その弓を的に向ってまっすぐ放つように、愛する夫に対してはっきりと自分の欲望を示します。「愛を知った侯爵」では、『「そして2人は幸せに暮らしました」だけではない玉虫色の部分をたっぷりと楽しませてもらった』と書きましたが、この本では夫婦の内実とともに、男の狡さ、女の腹のくくり方があますところなく書かれているのです。

ミリーの愛する夫・フィッツヒュー伯爵は、一見誠実なようですが実は狡い男だなと感じましたね。というより、シェリー・トマスは男の誠実さがひっくり返すと狡さと繋がっていることをミリーと読者に突きつけてきます。しかしそれでもミリーは、大きな痛みとともに愛を掴み取るのです。確かにフィッツヒュー伯爵は非常に魅力的な男性ではありますが、彼の煮え切らなさを含めて愛するミリーには尊敬の念すら感じましたね。また物語の展開そのものにある種の感銘は受けましたが、(ハッピーエンドにもかかわらず)私自身はこの大人の愛の物語に対しての憧れを感じなかったというのが本当のところでしょうか。

 

 

 

「菫色の空へ」クレスリー・コール

 前回の「もつれた蜘蛛の巣」がけっこう暗めのトーンで終わってしまったので、エロ満載(!)のクレスリー・コールのローア・シリーズで明るくしたいと思います。

ただし私はこの話のヒーロー・カデオンの女の趣味に関しては、ちょっとどうなのかなーと異議を唱える派です。しかし世の中には「蓼食う虫も好き好き」ということわざもあるくらいなので、何とも言えないかなぁ。

菫色の空へ (ソフトバンク文庫)

菫色の空へ (ソフトバンク文庫)

 

 あらすじ

デーモンの傭兵カデオンは、自分のせいで兄の王国が魔道師の手に渡ってしまったことを悔いながらヴァルキリー、九百年ものあいだ、その魔道師を倒す手段を探していた。そしてついに見つかったその方法とは、彼の運命の女ホリーを別の魔道師に差し出すことだった。最後は裏切ることになると知りながら、カデオンはホリーとともに魔道師のもとへ向かう。はたしてふたりの旅に未来はあるのか…波乱の展開が待ち受ける「ローア」シリーズ第5弾。

 

デーモンであるカデオンの運命の女性、ホリーは本来は凶暴なヴァルキリー(戦乙女)なのですが、人間に育てられたため自分がヴァルキリーであることを知りません。荒ぶる凶暴さを強い意志の力で無理やり抑え込んで、その反動のせいで相手かまわず秩序の正しさを求めます。つまり他のローア・シリーズのヒロインたちのように、自分の欲望に忠実で楽しく生きているタイプでははないのです。そしてなにかというとカデオンにキーキーと文句をつけるのですが、カデオンはホリーに夢中、なぜなら彼女がカデオンの運命の女だから。

この運命の女設定自体は作者のクレスリー・コールが決めたことなので、いち読者がもの申す権利などありません。しかし私は、もともと自分の欲望をごまかすためにギャンギャン声を荒げるタイプの女性が苦手なのです(でも「オレがいないと!」ということで、このタイプは男性の受けが良かったりする)。

また当然ですがクレスリー・コールなので、今回もエッチなシーンは充実しています。中盤以降2人は大陸を車で横断するのですが、車で700㌔移動するごとにエッチなことをするという契約を交わします。なぜ?それはローア・シリーズだから!!

カデオンは「鏡のなかの魔女」の時も、さりげなくセクシーな感じで存在を主張していたので、どういう女性と結ばれるのかと思っていました。まさかの禁欲的な女性(プラスめがね萌え)に夢中になるタイプとは...。まぁその反動といっては何ですが、ホリーはヴァルキリーとして覚醒後に物凄いパワーを発揮して、ほぼ一人で敵を倒してしまいます。そこの場面でカデオンは、ほとんど活躍していませんでした、ヒーローなのに。(うーん、それでいいのだろうか?)