読書備忘録ーロマンチックな回覧板をまわす

これまでに読んだ本の感想をこっそりと書いていく予定 ロマンス小説多めでかなり偏りと多少のネタバレがあります

「紳士と月夜の晒し台」ジョージェット・ヘイヤー

 えーと、この話が果たしてロマンス小説なのか?と問われると微妙なジョージェット・ヘイヤーのミステリーです。ヘイヤーなので、当然艶っぽい描写はナッシング!その代わりに軽やかさとクラシカルな雰囲気を併せ持った物語の展開を楽しむのが、オススメの読み方と言えるでしょう。

紳士と月夜の晒し台 (創元推理文庫)

紳士と月夜の晒し台 (創元推理文庫)

 

 あらすじ

月夜の晩、ロンドンから離れた村の広場で、晒し台に両足を突っ込んだ紳士の刺殺体が発見された。動機を持つ者にはこと欠かないが、浮世離れした容疑者たちを前に、ハナサイド警視は苦戦する。そんなとき、思わぬ事態が発生して…。ヒストリカル・ロマンスの大家として知られる一方、セイヤーズも認めた力量を持つ著者による、巧みな人物描写と緻密なプロットの傑作本格ミステリ

 

 

ざっくりとした全体の感想を書くならば、会話が楽しかったというところでしょうか?タイトル通りロンドン郊外にある晒し台で紳士の死体が発見され、警察があーだこーだとしゃべりながら右往左往して、犯人を捜していきます。基本的には限られた登場人物たちのあいだで、会話、会話、会話が繰り広げられるのを楽しむのが良いのでしょう。ロマンスも軽め、ミステリーも軽め、これをどっちつかずと感じる人もいるかもしれませんが、私はさらりとした読後感が気に入りましたね。あ、なんとなくスタンダード・ジャズの名曲がBGMで流れてきそうな雰囲気とでもいうのかな?文体から受ける印象としてクラシック音楽ではない、ジャズ独特な軽やかさみたなものを感じました、あくまで個人的な感想ですが...。文学的にはポアロとかアガサ・クリスティとかの、正統派推理小説に近いのかもしれませんね。

私自身は初めて読んだため全く知らなかったのですが、こうした小説形式はコージー・ミステリ*1と呼ばれる文学のジャンルだそうです。

ミステリはやっぱり本格的でなきゃ!という人にはあまり薦められませんが、ちょっとミステリに興味があるかな?という人なら、一読する価値はありますよ。

*1:イギリスで第二次世界大戦時に発祥した小説形式で、当時アメリカで流行していたハードボイルド形式の小説の反義語として用いられた。 ハードボイルドのニヒルでクールなイメージに対し、「地域社会が親密である」「居心地が良い」といった意味を持つ「コージー(cozy)」を使用し、日常的な場面でのミステリーであることを示す。ウキペディアより

「待ちわびた愛」シェリー・トマス

 ロマンス小説と大きくくられている作品の中には、恋愛の持つ甘やかさがメインの話だけではなく、男女の機微や人生の妙味を見事に描いている作品がひっそりと紛れ込んでいることがあります。シェリー・トマスに関しては「愛を知った侯爵」の回で、『お互い非常に賢く抜け目ない上に、プライドも物凄く高い』カップルの『自分の自尊心を賭けた恋愛(戦い)』を繰り広げているさまについての感想を書きましたが。この「待ちわびた愛」という物語に出てくるのは、男女の愛の真実というより愛の現実を生きたカップルです。そして、男の残酷さを見事なまでに表現した作品といってもよいかもしれません。

待ちわびた愛 (ライムブックス)

待ちわびた愛 (ライムブックス)

 

 あらすじ

資産家令嬢のミリーは、幼いころからレディとなるべく育てられてきた。一代で財をなした父が、娘を貴族と結婚させることを望んでいたからだ。
教養豊かな女性に成長した彼女に、フィッツヒュー伯爵との縁談が決まるが、
実は彼には長年想いを寄せている女性がいて……。

 

作者のシェリー・トマスは、アメリカの大学を卒業してはいますが、実は中国人です。その影響なのか、全体の印象としてダイナミックな文章構成の中に欧米人にはない繊細さが垣間見える表現が散りばめられているように思えます。例えばヒロイン・ミリーの言動を追っていくと、ストレートにはっきりと自分の意見を表明するタイプではないことが分かりますが、同時に感受性豊かでデリケートな内面を持つ耐えるタイプの女性であることも次第に明らかになってくるのです。

しかしミリーは、ただひたすら耐えるだけの女性ではありません。与えられた境遇に弓をギリギリと限界まで引っ張っるがごとく耐えた後、その弓を的に向ってまっすぐ放つように、愛する夫に対してはっきりと自分の欲望を示します。「愛を知った侯爵」では、『「そして2人は幸せに暮らしました」だけではない玉虫色の部分をたっぷりと楽しませてもらった』と書きましたが、この本では夫婦の内実とともに、男の狡さ、女の腹のくくり方があますところなく書かれているのです。

ミリーの愛する夫・フィッツヒュー伯爵は、一見誠実なようですが実は狡い男だなと感じましたね。というより、シェリー・トマスは男の誠実さがひっくり返すと狡さと繋がっていることをミリーと読者に突きつけてきます。しかしそれでもミリーは、大きな痛みとともに愛を掴み取るのです。確かにフィッツヒュー伯爵は非常に魅力的な男性ではありますが、彼の煮え切らなさを含めて愛するミリーには尊敬の念すら感じましたね。また物語の展開そのものにある種の感銘は受けましたが、(ハッピーエンドにもかかわらず)私自身はこの大人の愛の物語に対しての憧れを感じなかったというのが本当のところでしょうか。

 

 

 

「菫色の空へ」クレスリー・コール

 前回の「もつれた蜘蛛の巣」がけっこう暗めのトーンで終わってしまったので、エロ満載(!)のクレスリー・コールのローア・シリーズで明るくしたいと思います。

ただし私はこの話のヒーロー・カデオンの女の趣味に関しては、ちょっとどうなのかなーと異議を唱える派です。しかし世の中には「蓼食う虫も好き好き」ということわざもあるくらいなので、何とも言えないかなぁ。

菫色の空へ (ソフトバンク文庫)

菫色の空へ (ソフトバンク文庫)

 

 あらすじ

デーモンの傭兵カデオンは、自分のせいで兄の王国が魔道師の手に渡ってしまったことを悔いながらヴァルキリー、九百年ものあいだ、その魔道師を倒す手段を探していた。そしてついに見つかったその方法とは、彼の運命の女ホリーを別の魔道師に差し出すことだった。最後は裏切ることになると知りながら、カデオンはホリーとともに魔道師のもとへ向かう。はたしてふたりの旅に未来はあるのか…波乱の展開が待ち受ける「ローア」シリーズ第5弾。

 

デーモンであるカデオンの運命の女性、ホリーは本来は凶暴なヴァルキリー(戦乙女)なのですが、人間に育てられたため自分がヴァルキリーであることを知りません。荒ぶる凶暴さを強い意志の力で無理やり抑え込んで、その反動のせいで相手かまわず秩序の正しさを求めます。つまり他のローア・シリーズのヒロインたちのように、自分の欲望に忠実で楽しく生きているタイプでははないのです。そしてなにかというとカデオンにキーキーと文句をつけるのですが、カデオンはホリーに夢中、なぜなら彼女がカデオンの運命の女だから。

この運命の女設定自体は作者のクレスリー・コールが決めたことなので、いち読者がもの申す権利などありません。しかし私は、もともと自分の欲望をごまかすためにギャンギャン声を荒げるタイプの女性が苦手なのです(でも「オレがいないと!」ということで、このタイプは男性の受けが良かったりする)。

また当然ですがクレスリー・コールなので、今回もエッチなシーンは充実しています。中盤以降2人は大陸を車で横断するのですが、車で700㌔移動するごとにエッチなことをするという契約を交わします。なぜ?それはローア・シリーズだから!!

カデオンは「鏡のなかの魔女」の時も、さりげなくセクシーな感じで存在を主張していたので、どういう女性と結ばれるのかと思っていました。まさかの禁欲的な女性(プラスめがね萌え)に夢中になるタイプとは...。まぁその反動といっては何ですが、ホリーはヴァルキリーとして覚醒後に物凄いパワーを発揮して、ほぼ一人で敵を倒してしまいます。そこの場面でカデオンは、ほとんど活躍していませんでした、ヒーローなのに。(うーん、それでいいのだろうか?)

「もつれた蜘蛛の巣」モンゴメリ

 なんか「赤毛のアン」のバージョン違い?とでもいうのでしょうか?アンが可愛らしいきらきらとしたスワロフスキーで作られたビーズ細工のブローチみたいな話だとしたならば、この「もつれた蜘蛛の巣」は、先祖代々受け継いだ由緒ある骨董品のような話だと思いました(多分、上手く例えられていない)。ロマンチックな可愛らしさのある「青い城」とは随分、雰囲気が違うようにも感じたのだけれど...?

もつれた蜘蛛の巣 (角川文庫)

もつれた蜘蛛の巣 (角川文庫)

 

 あらすじ

ダーク家とペンハロウ家に伝わる由緒ある水差し。みんな喉から手が出るほど欲しがるこの家宝を相続するのは一体誰?老ベッキーおばがいまわの際に遺した突拍子もない遺言のせいで一族の面々は、かつてない大騒動を繰り広げることに。一族きっての美女ゲイの愛の行方は?長年秘密にされていたジョスリンの別居の真相は?やがて水差しの魔力は一同をとんでもない事件へと導くが…。モンゴメリ円熟期の傑作ロマンス。

 

 

小さな村で起こる様々な騒動や揉め事、いくつものロマンスに対して、作者はどちらかと言えばフラットな観察眼で描写しているように思いました。

実は私の実家の本棚には母の趣味で、「赤毛のアン」の全集が揃っていたのです。本の中では少女だったアンが成長して学校の先生となり、校長先生(!)にまで出世し、結婚して確か子供は6人だったかな?その後彼女の息子たちが、第一次世界大戦に出征するところまでが書かれています。読んだことのある方なら分かると思いますが、作者の視点はユーモアと温かみに満ちており、あくまで柔らかさが湛えられているのです。そんなアンの生涯を繰り返し読んでいた身として、この本はその柔らかなユーモア・センスが、いくぶん失われているような気がしてなりませんでした。

調べてみたら、どうやらモンゴメリの結婚生活は、決して幸せなものではなかったようです。*1もしかしたらそういった日常生活が、彼女の持っていた快活さのある作風に影響してしまったのかもしれません。あくまで私の勝手な想像でしかないのですが,,,。

*1:夫がうつ病を患っており経済的にも不安定で、モンゴメリ本人も不眠症に苦しんでいたことが後年刊行された日記に記されている。彼女の死因は、睡眠薬の飲みすぎによる自殺!

「幻の花嫁」クレスリー・コール

 この本はクレスリー・コールのローア・シリーズ第2弾なのですが、最初にはっきりと明記しておきましょう。ローア・シリーズはどれも激しい官能シーンが書かれていますが、その中でもこの「幻の花嫁」はどエロいです。「時の扉を開いて」、「鏡のなかの魔女」に出てくるカップルたちも、非常に積極的な姿勢で恋人同士の営みに取り組んでいますが、この本のヒロイン・ネオミはそれをはるかに凌駕する女の中の女なのです。あらすじではバレリーナと書いてありますが、実は百戦錬磨の元ストリッパー!前世では裸一環でのし上がった、お色気ムンムンの女性!しかもそのネオミに対してのお相手である吸血鬼コンラッドは、まさかの童貞設定!この設定からして、クレスリーの官能シーンへのやる気に満ちた取り組み姿勢が伝わってきますね。でもエロじゃない部分も、面白いですよ(念のため)。

幻の花嫁 (ソフトバンク文庫)

幻の花嫁 (ソフトバンク文庫)

 

 あらすじ

バレリーナとして成功を収めたネオミは、屋敷のお披露目パーティで、元婚約者に殺害される。以来八十年、彼女は幽霊として同じ屋敷に暮らしていた。ネオミの声は誰にも届かず、その姿は誰からも見えない。長年、ひたすらに無視され続けて、自分が本当に存在しているのかどうか頭を悩ませ始めていたところへひとり男が現れる。「美しい女性」男はそう言った。赤い目をしたこの男には、わたしが見えるの?…肉体のない幽霊と堕ちたヴァンパイアの狂おしくも切ない恋を描いた“ローア”シリーズ待望の第4弾。

 

 

時の扉を開いて」と「鏡のなかの魔女」が世界をまたに架けての空間移動がやたらに多い「タリマンズハイ」と呼ばれるゲームの話であるのとは対照的に、この話では幽霊であるネオミが移動できる範囲の「エランクール」という邸宅内で起こる出来事がほとんどを占めています。

しかも中盤までネオミは実体のない幽霊なので(でもガンガン脱いで誘惑してくる)、コンラッドと実際に触れ合うこともできずにふわふわと漂っているだけなのです。(でもできる範囲でイロイロしている)ちなみにあらすじには「狂おしくも切ない恋を描いた」とありますが、実際は「(エッチなことを)いたしたくてもなかなかできなくて悶々する日々を描いた(ネオミが幽霊で実体ではないため)」のではないかと思いました(まぁこれではちょっと身も蓋もないかな)。

そんなもどかしい2人の愛の成就(セッ○スしまくりの日々)に大きな役割を果たして、ネオミを実体化してくれるのが、「鏡のなかの魔女」のカップル魔女マリキータと人狼ボウエンです。ほんと、ネオミもコンラッドもマリキータの魔力に無茶ブリしすぎですよ、ボウエンがマリキータの身体を心配して怒るのも無理ないと思いましたね。

最終的な収まり方がちょっとご都合主義かな?とは感じましたが、そもそもローア・シリーズ自体があり得ないファンタジーなので、ケチなどつけずに楽しんだ方が得でしょうね。

蛇足ですが文中で、幽霊である自分が実体化した理由をごまかすためにエロいテクニックを繰り出しまくるネオミも凄いけれど、コンラッドも「セッ○スでおれをごまかそうとしている。それでおれを操ろうと思っているな」と言った数行あとで、「まさか...?おれにこんなことが...?」とあっさり翻弄されているので、いくらなんでも早くごまかされすぎでは?と思いました。

そしてその後2ページしか進んでいないのに、コンラッドは「ふたりが一緒にいること。いま大事なのはそれだけだ。ほかの一切は些末事でしかなかった」とすっかりご満悦となってしまい、完全にネオミのエロテクの手玉に取られていました。それを読んで、「えーっ!!さっきと全然言うことが違うじゃん?コンラッド!」と思った読者は、絶対に私だけではないはずと信じています。でもエロじゃない部分も、ちゃんと面白いですよ(2回目の念のため)。

「青い城」モンゴメリ

 ルーシー・モンゴメリと言えば「赤毛のアン」を書いた作家として有名です。というより「赤毛のアン」そのものが世界中に知られていると言えるでしょう。しかしモンゴメリは、“アンを書いた人”というだけではないのです。ではどういう人なのかというと“皮肉まじりの独特なウィットとユーモアセンスを備えた、優れた作家”という表現がしっくり来るような気がしますね。この「青い城」は、彼女のそういった作家としての資質をフルに発揮しているのではないのでしょうか。

青い城 (角川文庫)

青い城 (角川文庫)

 

 あらすじ

貧しい家庭でさびしい日々を送る内気な独身女、ヴァランシーに、以前受診していた医者から手紙が届く。そこには彼女の心臓が危機的状況にあり、余命1年と書かれていた…。悔いのない人生を送ろうと決意した彼女がとった、とんでもない行動とは!?ピリッと辛口のユーモアで彩られた、周到な伏線とどんでん返し。すべての夢見る女性に贈る、心温まる究極のハッピー・エンディング・ストーリー。

 

 

ヒロイン・ヴァランシーは、あらすじに書かれているとおりの「貧しい家庭でさびしい日々を送る内気な独身女」で、作中で何度も「美人ではない」と評されています。しかしモンゴメリは、その「美人ではない」ヴァランシーが、彼女しか持っていない魅力を勇気を持って開花させ、その魅力を充分に振りまきながらも人生を切り開いていく様子を、カナダの大自然の美しい描写とともに描いているのです。「赤毛のアン」はアンという少女の成長物語であってロマンス小説というわけではありませんが、この「青い城」はキラキラしたロマンスに満ちあふれたときめきを約束してくれる小説と言えるでしょう。

官能シーンは一切ナシ!でもページをめくる手が止まらない!その辺りはジョージェット・ヘイヤーを思わせますが、あちらがリージェンシーと呼ばれる時代*1の恋人たちを書いているのとは違って、「青い城」の時代背景はもう少し後の1900年代ごろとなっています。

それからこの物語の翻訳文がとても美しいのですが、あとがきによると翻訳者の谷口由美子さんは原作にほれ込んで、出版のあてもないまま1ページ1ページ、宝物のように訳したみたいですね。モンゴメリの他の本も読んでみたくなりました。

*1:摂政時代(英語でRegency eraまたは単にRegency)は、イギリスにおいてジョージ3世が統治不能に陥り、息子の王大使ジョージが摂政王大使として統治した時期を指す。1811年から1820年までのほかに、1795年からウィリアム4世が死去する1837年を指すこともある

「いつもふたりきりで」リンゼイ・サンズ

天然ドジっ娘ヒロインとみかけよりかなり繊細な心を持つヒーローという、リンゼイ・サンズお得意設定の物語です。しかし彼女の本に関していつも気になるのが、本のタイトルが内容と若干ズレていることなのです。この「いつもふたりきりで」というタイトルも、内容とタイトルが全然ちがうわけではないけれど、なんかしっくりこない気がする。(しかし原題を知らない)「微笑みはいつもそばに」も、基本人々が死体を引きずって歩いているという内容だけに、微笑みとか特に関係ない内容だよなぁと思うことが多かったので、そこが引っかかるなぁ。

この本もいつも通り!内容に明るいエッチなシーンが満載となっていますね。

いつもふたりきりで (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

いつもふたりきりで (二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)

 

あらすじ

愛らしい貴族の娘クラリッサは、極度の近視でありながら、めげることなく幸せな人生を送っていた。だが意地悪な継母に眼鏡を禁じられて以来、社交界デビューを果たしたものの相手の顔すら判別できずに失敗ばかり。求婚者たちはつぎつぎと去っていくが、ある日ひとりの男性が彼女にダンスを申し込む。かつて天使と評された顔に、戦争で醜い傷を負った伯爵エイドリアン。やがてふたりは継母の目を盗んで逢引を重ねるようになるが…。ユーモラスで心温まる傑作ラブロマンス。

 

 

この本はリンゼイの本の中でも比較的人気があるみたいで、ネットに好意的な感想が多いので、そっち系の感想は他の方に任せます。私が書きたいのは、「あ、リンゼイさん、この設定を考え付いた時は嬉しかったに違いない」ということですかね。だって“眼鏡萌え”ですよ!そして顔に傷のあるヒーロー!私にはリンゼイさんが、「よっしゃ!(と言ったかどうかは知らないけれど)」と1人喜ぶシーンが見えますね。

彼女の作品の特徴は、全体的には軽めに仕上げに対してアクセントとしての重みのある設定を差し込むことで、物語に広がりをつけることです。それに加えてヒロインの積極的なエロへの取り組みですかね。この話でも、割と最初からクラリッサがエロに対してウェルカムかつ好奇心あふれる感じで取り組んでいく、セクシーシーンがいくつも展開します。そしていつものごとくヒロインが命を狙われ、犯人は誰?という謎ときもありますから(ほんとにこの設定が好きだと思う)、リンゼイさんが自分のド定番を楽しく手堅く仕上げてた作品として、読者も同じく笑って読める本と言えるでしょう。